山形県生協大会
50周年のあゆみ その1
今年2020年度の第51回山形県生協大会は、9月3日開催を予定しておりましたが、新型コロナウイルスの影響で開催中止を決定しました。50年間1度も休むことなく続けてきた大会です。そこでこの50年を写真と当時の世相なども交えて振替ってみます。
第1回大会 1970年11月4日 山形市医師会館 参加350名。
この年の3月大阪万博が開催され、日本は高度経済成長の真っただ中。しかし公害や消費者被害がその半面表面化していました。
第4回大会 1973年(昭和48年)鶴岡市で開催
この年の暮れにオイルショックが起こり、灯油の高騰、トイレット ペーパーの買い占めによるパニックなどが起こりました。その後鶴岡生協は
当時の石油元売りを相手に有名な灯油裁判を起こしました。
第10回大会 1979年(昭和54年)酒田市で開催
この年、山形県内のいくつかの市民生協が、それぞれの生協の独立性を保持しながら統合をすすめた第一次生活協同組合共立社が創設されました。酒田健康生協の設立もこの年です。
この3年前の1976年10月、あの酒田大火が起こります。この大火の支援でも県内の生協は力を発揮しました。山形県生協連は対策本部を設置。(酒田大火の発生年が間違っていましたので訂正しました)世の中では、第二次オイルショックが発生し、物価が高騰しました。
第13回大会 1983年(昭和57年) 長井市で開催
山形県は大きく4つの地域に分かれます。日本海に面する庄内地域、北部の最上地域、県の中央部村山地域、県南部の置賜地域。その置賜地域ではじめて開催されたのが第13回生協大会です。
県生協連ではこの年、国連軍縮会議に代表2名を派遣しています。
政府はこの年、臨時行政審調査会の答申を受け、行政改革を開始。今につながっています。
第16回大会 1985年(昭和60年)米沢市で開催。950人の参加。
売上税・おおがた間接税導入反対の運動を行っていました。共立社鶴岡生協の灯油裁判は、仙台高等裁判所秋田支部で一審の判決を覆す逆転判決が出ました。
石油元売りの闇カルテルを違法とし、消費者が被った被害を賠償するという画期的な判決です。しかしこの後最高裁まで裁判が続きます。
この年に、男女雇用機会均等法や労働者派遣事業法が成立しています。そして忘れもしない、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落したのもこの年です。
第19大会 1988年(昭和63年)山形市開催
この大会で講師の俳優の東野英心さんが講演。生協大会史上最高の1700名の参加がありました。この参加者数の記録はこの後第50回まで更新されていません。
右の写真の解像度は低いですが、東野英心さんです。
消費税導入の反対活動が取り組まれていました。日本はバブルのピークを迎えようとしていた時期です。
第20回大会 1989年(平成元年)山形市開催
この年に消費税(当時の税率は3%)が導入され、
生協大会の後、反対するデモ行進を行いました。
共立社鶴岡生協の灯油裁判の最高裁判決は二審の判決を破棄するものでした。
この年は昭和から平成へ元号も変り、まもなくバブルもはじけてしまう時期です。
第24回大会 1993年(平成5年)山形市開催
この年のアトラクションは、長井市を中心に活動している、影法師というグループ4人組の唄でした。大変好評でした。
この年は、冷害で梅雨明けは宣言されませんでした。さらに米の不作(作況指数75)で輸入米が市場に出回る年でした。政治のほうでは非自民の細川政権が誕生しています。